監査人紹介

土屋 裕昭
  • 登録政治資金監査人(登録番号:第3740号)
  • 税理士(登録番号:第101293号)
  • CFP
  • 宅地建物取引主任者

土屋 裕昭

略歴
  • 1973年 米国アラスカ州アンカレッジ市生まれ
  • 1976年 日本に帰国し、東京都世田谷区で過ごす
  • 1991年 佼成学園高等学校卒業
  • 1995年 早稲田大学政治経済学部卒業
  • 1995年 日立系の一般企業入社
  • 2001年 辻・本郷税理士法人入社(第14部門マネージャー)
  • 2002年 税理士試験合格
  • 2007年 土屋会計事務所設立
著書・執筆
  • 「やさしく分かる経理・財務の基礎知識」(税務経理協会)
  • 「経理・財務スキル検定FASSテキスト&問題集」(日本能率マネジメントセンター)
  • 「MSNマネーコラム」毎月連載中他
取材・講演
  • TBSテレビ「Nスタ」(平成22年4月)
  • 「週刊ビル経営」(株式会社ビル経営研究所)
  • 「相続対策のイロハ」(神奈川県歯科医師会)
  • 「初めての税務調査」(エリアリンク株式会社)
  • 「相続対策の最新基礎知識、よくある失敗事例」(株式会社オーナーズ・スタイル)他

僕が税理士になった理由

【アラスカで誕生】
私が生まれたのは、アメリカにあるアラスカ州アンカレッジというところです。
そう書くと、親は商社マン、帰国子女のような英語力、そんな風に想像されるかもしれませんね。
でも、親は商社マンではありませんし、私自身も帰国子女のような英語力はありません。

私の両親は、料理人(調理師)です。
私が生まれる前の若い頃、自分で店を出したい、そんな夢を持っていたそうです。
※現在、新宿で飲食店を経営しているので、その夢は実現しました。
そして、両親は結婚して間もなく、とある求人を見つけました。

「アラスカで調理師募集、条件は破格!」

夢をかなえるべく、今の価値で数万円を握りしめて、アラスカに旅立ったそうです。
英語は、三人称単数(she has)すら分からずに。

知り合いは誰もいない土地で自動車免許を取得し、初めての出産で私が誕生。
私が3歳になるまでの5年間をアラスカで過ごしたそうです。

正直、無謀です。

でも、夢があったので、不安はまったくなかったそうです。

私自身も26歳の時に4年間勤めていた会社を辞めて、税理士を目指し始めました。
当時の私は、簿記すら勉強したことはありませんでした。
経理の仕事をしていたわけでもなかったので、「貸借」なる言葉は、聞いたことがあるだけ。
会社を辞めて、最初に始めたのは簿記3級の勉強。

でも、不思議と不安はありませんでした。

30歳までに税理士試験に合格。
35歳までに独立開業。

それが夢だったので、不安はゼロでした。

正確に言うと、夢ではありませんでした。
そうする(そうなる)と勝手に決めていました(このへんは親譲りですね)。

【税理士を目指すまで】
私はアラスカで誕生し、3歳の時に日本に来て、東京の世田谷区で育ちました。

私の両親は、日本に帰国後、夢だった飲食店を新宿で開きました。
「つちや」という名のお好み焼き屋で、開店して現在(平成23年時点)で35年目をむかえます。

飲食店ですから、当然土日も仕事。
夏休み、正月もほとんど休みなく働いていました。
私自身も子供の頃、家族で遊園地、旅行に行ったという記憶はほとんどありません。

夢をかなえ懸命に働く両親とは異なり、私自身は子供の頃からずっと何をしたいのか分からずに、いつも満たされない気分でした。
学生時代を知る人の私のイメージは…「いつも不機嫌そうな冷めた人」、正直、そんな感じだと思います。

そんな感じだった上に、就職活動中は、就職氷河期と言われた就職難の時代。
何がやりたいのかも分からず、漠然とサラリーマンを一生続けることはないだろうなぁ。
そう思っていました。

そして、20社以上の面接に落とされ続け、就職した会社でも目標を見いだせず…
※今思えば、その会社で学んだ事が大きく活きていますが。

そんな時に、ふと思い出したのが実家を毎月訪問していた税理士の先生の存在です。

真面目にコツコツと働き、30年以上も飲食店を続けてきた両親ですが、帳簿整理は大の苦手。
そんな両親をサポートしていたのが、税理士の先生でした。

子供の私からすれば、両親はヒーロー。
子供の私には、そんな両親を親切に指導する税理士の先生は、凄い人、偉い人でした。

そして、大人になった私には…

両親のように真面目に仕事に取り組む経営者のサポーター。

私のやりたい事が分かった瞬間でした。
親の背中を見て育ったこともあり、

両親(のように真面目に仕事に取り組む人)の手助けができる、そんな仕事をしたかったのです。

そこからの決断は早く、すぐに新卒で入った会社を辞めることにしました。

そして、両親には会社を辞める1週間前、そう告げました。
税理士になるために、2年間は無職で勉強する、そう告げました。

私の中では、当然にして応援してくれるもの、そう思っていました。
ところが…

明け方まで勉強すれば・・・電気代がもったいないから、早く寝ろ!
日中、外出しようとすれば・・・近所の人に見られるから、家にいろ!
親戚が集まる席では・・・会社を辞めたと絶対に言うな!

クレームの嵐でした…

自分で飲食店を経営し苦労している両親にとっては、「サラリーマン=安定」、そう思い、子供には、そのレールを一生走って欲しかったようです。

両親を助けるような仕事をしようと思った私の行為は、両親にとっては裏切りだったようです。
ならば、早く結果を出して安心させなければ、そう思い、決めました。

絶対に2年で合格する (合格までの平均は4~5年程度)
無職であっても、家にはお金を入れ続ける (そのためには、バイトもする)
会社員よりも早く家を出て、自習室で深夜まで勉強する (仕事時間以上に勉強する)

簿記知識はゼロでしたが、3年間猛勉強して税理士試験に合格。
※①だけは達成できませんでしたが。
そして、国内最大規模の税理士法人で様々な業務経験を積んで、開業するに至りました。

【これからの目標】
私は、非常に幸福、幸運な人間だと思っています。
自分のやりたい仕事、誇りを持てる仕事に就くことができ、周囲の方々の応援もあって独立開業することもできました。

税理士という職業は、私の両親のような仕事に真面目に取り組む人をサポートすることができます。

そして、時にはお客様から感謝されることもある素晴らしい職業だと思っています。

しかし、世間での税理士のイメージはイマイチ。
私の恩師である会計士の本郷孔洋先生が言った印象に残る言葉があります。

「税理士が主人公のドラマを見たことがない。」

確かにその通りかもしれません。
弁護士が主役のドラマはたくさんあります。
でも、ドラマや映画に出てくる税理士は、うだつの上がらない眼鏡をかけた人。
ひどい場合は、脱税指南役だったりします。

世間的には、ぱっとしないイメージかもしれませんが、私自身は少しでも業界のイメージを向上させたい。
そう強く思っています。

今の私には、2つの目標があります。

ひとつは、両親のような真面目に仕事に取り組む人をサポートし続ける、ということ。

もうひとつは、税理士がドラマの主人公になる時代が来るように業界のイメージをアップさせたい、という大きな目標です。

2つの目標の達成状況は、まだまだです。

それでも、微力ではありますが、そんな時代が来るよう、一人でも多くの中小企業経営者をサポートしたい、そう思い、今日も明日も東奔西走しています。

長い文章でしたが、最後までご覧いただき、ありがとうございます。

税理士 土屋 裕昭

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